3.11 あれから10年

「離婚届」提出直後の 3.11

○あの瞬間、私は出張中で、同僚たちと那覇の空港に足止めとなりました。いつ東京に帰れるのか?全く先が見えない中、当時まだ小さかった娘の世話を、元旦那とその家族にお願いし、ヤキモキしながら夜を過ごしました。
○直前の3/4に「離婚届」を提出したところというタイミングで、早速自らでは手の施しようのない問題を突きつけられました。震災をきっかけに「婚姻届」を提出するカップルが増え「絆婚」とマスコミが報じていたのを皮肉に感じた事を思い出します。

結局何もできない

○被災地に何かしたくて、当時勤めていた会社の上司に申し出ましたが、「危険を伴うので、男性社員に出張させる」と言われました。「安全」第一の差配だと思いはしましたが、「女性」であることで悔しい思いをした事は忘れられません。
○オリジナルの支援企画を立ち上げて、5月頭に打ち合わせのため釜石漁協へ。初めて被災地を訪れました。この日この目で見た光景は一生忘れません。
○「魚」の折り紙を折ってもらって寄付を募る企画「東北フィッシュ・リ・ボーンプロジェクト」を進め、多くの方々のご協力のお陰で、秋口に釜石の漁師の皆さんに「矜恃」のシンボルである「大漁旗」を贈ることができました。
が、大きな事は何もできませんでした。
      

「公」の重さ

○2012年「内閣府」に出向した際に、行政職員は業務で派遣されて被災地の自治体で働いたと聞き、「公」の仕事の重みを感じました。
医師や看護士をはじめ、被災地で役にたつ明確な「資格」を持たない自分の非力を痛感し、仕事を見つめ直すきっかけにもなりました。
○2018年夏、都議会議員として、再び「釜石」を訪れる機会を得、復興の様子をこの目で見させて頂きました。「そもそもあった ”コミュニティの力 ” が強い街の復興が早い。」という話がとても印象に残りました。それもきっかけとなり、今「地域の居場所づくり」や「まちの防災活動」に特に力を入れています。

コロナ禍の今

○コロナ禍で、再度、医療関係者の皆様をはじめとするエッセンシャルワーカーの皆様の多大なるお力で、私たちは日々を過ごすことができています。本当にありがとうございます。
○コロナ禍でお困りの方々の声を本当にたくさん頂いています。少しでも課題解決に役立てた時、議員の仕事のやりがいを感じ、その役割の大きさ、責任の大きさを感じています。
そのような仕事をさせて頂けていることを改めて感謝いたします。そして、支えて頂いている全ての皆様に心より感謝いたします。
最後に、命を落とされた数多くの方々とご遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。